もう30年あまりも前になりますが、私は19歳の秋(1976年)から20歳(1977年)の夏にかけて、一年間弱、イスラエルの農業共同体で、ボランティアとして働いていました。主な理由は、高校卒業後、進路を決める前に、異なる世界を体験してみたかったのと、社会的実験とも言える共同体を実際に見てみたいと思ったからです。
イスラエルの農業共同体は、キブツといいます。
私は、その時代に数百あったキブツの中でも最も古い、デガニア・アレフというティベリア(ガラリア)湖畔にあるキブツに滞在し、グレープフルーツの収穫や剪定を中心に、オレンジやレモンなどの柑橘類の収穫・剪定、アヴォカド、バナナ、ナツメヤシの収穫や栽培、鶏のオス、メスの仕分けと出荷などの作業をしました。滞在中は、イスラエルの国語でユダヤ人の言語であるヘブライ語をキブツの住民から習ったり、世界各国から来たボランティア仲間と話をしたり遊んだり、ヒッチハイクやバスでイスラエル国内を旅行したりしました。ガザやヨルダン川西岸を訪れ、パレスチナの人々とも話をする機会がありました。
その頃は戦争や紛争もなく、比較的安全な時期でした。
当時のキブツでは、共同体内での平等が非常に重んじられていました。
例えば、どんな仕事(食堂の皿洗い、バナナの収穫、共同体の経営事務、トラクターの運転、キブツに付設する工場の管理や技術職など)をしても原則的に同じ賃金でした。
住居も、家族人数にもよりますが、同じ広さのアパートに住んでいました。
また、三食の食事は、食堂で食べることになっていました。住居には簡単なキッチンがあり、週末など自宅で食事をしたりした場合もありますが、基本的に食事は食堂でした。自動車も共有で、最近、時折環境対策として話題になるカーシェアリングでした。
仕事や休暇のローテーションなど、共同体の住民生活と仕事に関する様々なことが、食堂での集会で決められました。
子育てと教育ですが、私が滞在していた頃は、キブツの中には「子どもの家」という子どもと保育士、寮長のような人たちが住む寄宿施設があり、子どもは通常そこに住んでいました。
学校もそこから通っていました。親の家には週末、場合によって週日の夕食後など1〜2時間ばかり戻って一緒に過ごしていました。
つまり子どもたちは、世話役の大人たちと、キブツという共同体の中であえて親と離れて共同生活をしていたのです。
キブツによりますが、保育園と小学校はキブツ内にあり、中学校以上は近くの学校に通うというパターンが多かったです。
また、これも個々のキブツによりますが、幼児も親元から離れて「子どもの家」に住んでおり、親の家に定期的に帰る生活をしていました。
このような共同体的というか「原始共産主義的」な子育て方法は、今ではほとんどとられていないようですが、その頃は、新しい試みとして世界中で注目を集めていました。
実はこのような共同体による子育ては、キブツが作られ始めた20世紀はじめの時期に、荒地に資金も経験もなく入植してきたユダヤ人たちが、お互いに協力しなければ生きていけないという状況があったから、自然発生的に始まったそうです。母親が子育てに専念する余裕は無く、また老若男女を問わず、皆働かなければならなかったのです。
そこでは、固定的性別役割や年齢による差別などは、存在する余地はありませんでした。
それでは、親から離れて「子どもの家」で育ったキブツの子どもたちは、どのような大人になったのでしょうか。
残念ながらここで詳しい調査結果を紹介することはできないのですが、確かであるのは、イスラエルの人口の数パーセントにしか過ぎないキブツ出身者は、一般の家庭の出身者と比べて、能力と意欲において抜きん出ており、非常に多くの出身者がとても成功し社会的に重要な地位についていることです。
1960年代から1970年代にかけては、世界中で様々な社会改革の試みがありました。キブツもその試みの一つであり、大規模な共同体運動としては、成功した世界でほとんど唯一の例であると言えるでしょう。
しかし、社会が豊かになるにつれ、非常に平等主義的であり、集団により個人の自由やプライバシーが拘束されるキブツの制度は敬遠されて少しずつ緩やかになっていきました。
最近ではここで紹介した平等主義・共同体主義のキブツはほぼ無くなっており、ほとんど普通の街や農場と同じような生活をしていると聞いています。
ひるがえって、最近日本では、子育てを家族、特に母親だけに任せるのではなく、地域全体で担えるようにしようという動きがあります。
親が遠方に住む私達夫婦も、地域の家庭保育ママ制度や、個人的に雇ったベビーシッター、幼稚園の預かり保育や、小学校の放課後児童クラブなどを活用して子育てをやりくりしてきました。そのように忙しく仕事と子育てを両立させているとき、ふと、キブツの「子どもの家」の風景を思い出したりしました。そこでは、子育てと仕事の両立に悩むと言う心配は全くありませんでした。
まさに地域である共同体(コミュニティー)が子どもを育てていました。
キブツの例は、極端な例でしょうが、このような小社会が存在していたという事実と、そこから学べることがあるということを覚えておきたいと思います。
追記:ここで紹介するキブツとは、パレスチナ人が住むガザ地区やヨルダン川西岸のユダヤ人入植地ではありません。また、私が滞在した時の記憶では、キブツの住民はどちらかというと、パレスチナ人との共存を望んでいた人が多かったと思います。いずれにせよ、歴史的、文化的にも重要な中東の地で、様々な民族が平和に共存する社会が早く実現することを強く望みます。
文/森俊太氏








上は24歳から3人の子の父親です。今は離婚していますが、子供達は私が育てています。
「キブツ」と検索していたら目に留まったので、私も子育てには並々ならぬ興味がありますので少し意見を述べさせていただきます。
40年近くまえからキブツには興味がありましたが、全く耳にすることもありませんでした。
懐かしい気持ちもありますが、正直「やはり消滅したか」という気持ちです。
理想的であるなら、存続できいたでしょうが、やはり人間の本質には合わないということでしょう。
子供は親が責任を持って育てるべきと考えます。
今の日本の風潮には危機感を抱いています。
キブツは未だ今も沢山存続していますょ!
実は僕も学生時代行きたいと思っていました。
でも、1970年に休学して行く根性が無かった為大学もキッチリ4年間で卒業しました。(笑)
卒業後は経済専攻でしたが、繊維関係の会社でアパレルの営業を3年間して円満退社。その後専門学校に通い卒業してから渡航先の英国で1年間の経営の勉強。そして欧州でのお仕事3年間でしたが、その時キブツを垣間見たい気持ちになったのですが、又機会を逃してしまいました。(汗)
日本を離れて4年目に帰国してからは日本に腰を下ろしてしまった為、雑誌やネットなどで見るしか方法はなくなりましたネ!
年齢で引っ掛からなければ直ぐにでも行って、キブツの仲間達と良い汗かきながら語らいたいです
。僕は離婚はしてませんが、子育てはお風呂、食事、洗濯、掃除などやっています。
僕の食事作りは材料からやりますが、家内の食事はお惣菜が殆どです。(味でダイエー、ヨーカ堂、相鉄ローゼン。高島屋B1…と分かりますょ)
家内も働いていますが、B型で大雑把なので僕が作った方が美味しいです。掃除も掃除機だけ。拭き掃除は見た事有りませんょ!(爆笑)
まっ、子育ては男性陣も積極的に参加しよう〜!